「sweet or・・・?」
 そもそも、セシルがトーマスにバレンタインの贈り物をする決心をしたのは、メイミにその行事の存在を知らされたからだった。
 一週間前に、ビュッデヒュッケ城の住民の中でも年の近いメイミのレストランに遊びに行ったセシルは、彼女が厨房で熱心にお菓子のレシピを眺めている事に気付いて、声を掛けたのだった。
「こんにちは、メイミさん!」
「あ、セシル。元気、って訊かなくてもいつも元気だよね」
「はい、元気です!」
 セシルははきはきと返事をしてから、メイミの手元を覗き込んだ。
「どうしたんですか、そんなに一生懸命チョコケーキのレシピなんか見て?」
「ああ、これ?」
「新しくメニューに出すんですか?」
 セシルの問いに、メイミは首を振った。
「そうじゃなくて、来週のバレンタインデーに、男の客にサービスで配ろうかと思って。話題性もあるし、いい宣伝になるでしょ」
「ばれんたいん??って、何ですか?」
 常に小さな体に鎧をまとうセシルが首をかしげると、銀の甲冑がギイ、と軋んだ音を立てた。
「あ、そうか。ここいらの習慣じゃないから、セシルは知らなくても当然か。バレンタインっていうのは、要するに……」
 と、あまり愛想のいいほうではないメイミから簡略化された「ばれんたいんでー」の説明を受けたセシルは、分からない部分もあるなりに一応納得して、こっくりと頷いた。
「…つまり、好きな人にチョコレートをあげる日なんですね?」
「まあ、そういうこと」
「でも、メイミさんは男のお客さんにチョコケーキをあげるつもりなんですよね?それって、お客さん全員に好きだって渡すってことですか?」
「あたしのは義理チョコだから、そういう意味にはならないんだよ」
「どうしてですか?義理チョコってなんですか?」
 先刻から、好奇心の旺盛なセシルの疑問符に答え続けていたメイミはいい加減面倒くさくなったらしく、「どうしても」と、一言で疑問を退けてしまった。
 ちょっと口を尖らせ、不満そうにしているセシルを見ていたメイミは、急に目を輝かせて、ぽんと手を打った。
「そうだ、いいことを思いついた」
「え、何ですか?」
 メイミは不敵に笑い、セシルにもっと近づくよう、手招きをした。
「あのね、他の女の子とたちにも言っといて欲しいんだけどさ……」


 メイミが思いついた「いいこと」とは、バレンタインデーに贈るチョコレートを使ったお菓子教室だった。
 少女達が密かに思う相手に、チョコレートを作って贈ろうというわけである。
 もちろん、小遣い程度だが、メイミはしっかり指導料を取る。
 だが、バレンタインデーの噂を聞いて、密かに心を躍らせた少女達は少なくなかった。
 きっかけがなくて告げられずにいた想いを、チョコレートと共に手渡すことが出来るのだ。
 メイミの思いつきは見事にあたり、少年たちに知られぬように開かれた菓子教室はかなりの盛況振りを見せた。
 その中に、セシルの姿もあった。
 セシルは話を聞いたとき、あまり乗り気ではなかった。
 セシル自身が大の辛党で、甘いものはまず口にしないからだ。
 しかし、メイミにしたり顔で囁かれた一言に心が動いた。
「トーマスは、甘いものが好きだよね」
 結局その一言が決め手となり、セシルもメイミから菓子作りの手解きを受ける事にしたのだった。


 バレンタインデー当日、セシルはいつも通り城の入り口で門番をしながら、トーマスが通りかかるのを今かと待ち受けていた。
 懐には、散々苦労して作った菓子が潜ませてある。
 以前、セシルはトーマスに弁当を差し入れたことがあったのだが、そのあまりな激辛ぶりに、甘党のトーマスが卒倒するという事故を引き起こしてしまったことがある。
 今回の菓子は、そのお詫びの意味も含めて渡すつもりだった。
 セシルにとって、バレンタインデーにチョコレートを渡す相手はトーマス以外に有り得ない。
 セシルは、トーマスが好きだった。
 その「好き」の意味について、深く考えたことはなかったが……。


 トーマスは持て余し気味に、メイミから貰ったチョコケーキの包みをぶら下げて、城の正面に向かう坂道を歩いていた。
 何か釈然としないのは、やはりこれが「義理チョコ」だからだろうと思う。
 贈り物を貰って、嬉しくないはずがない。しかも相手が女の子なら尚更だ。
 しかし、その品物に込められている意味は、必ずしも純粋なものではないと知れば、どうしても気が重くなってしまうのだった。
 トーマスにとって贈り物とは、たやすく贈られるものでも、贈るものでもなかった。
 母との二人暮しで、決して豊かとはいえない生活を過ごしていたトーマスは、母に贈り物をしたいと願う時、相応の努力や労働や、自らの犠牲を払っていた。
 自分の楽しみを削って貯めたお金で、やっとささやかな贈り物を買うことが出来たのである。
 それ故に、中途半端に相手に贈り物をする習慣はそもそもなかったし、そんな気も起きなかった。
 いつも、喜ばせたいと願う相手にだけ、自分の心を贈っていた。
 だからこそ、安易にチョコレートを配る「義理チョコ」なるものに、どうしても違和感を覚えずにいられないのだった。
 トーマスは肩の力を抜こうと、大きく深呼吸して、よく晴れた空を見上げた。
「でも……、シーザーさんの言うことも当たっているんだよね。僕はやっぱり、考えすぎなんだろうな…」
 小さく、呟く。
 メイミからチョコレートを貰って、素直に嬉しかったのも、事実だ。打算のこもった義理といわれても、それが偽りない少年の心理というものだった。
 多分、シーザーもそうだったろうと考えて、そこでやっとトーマスは小さく笑うことが出来た。
 手に提げていたチョコレートケーキの包みを持ち直して、トーマスが前方を見直すと、人の流れの向こうで、空に向かって何度も突き上げられているガードエンジェルが見えた。
「トーマス様ぁ!」
 セシルのよく通る高い声が耳に届いて、トーマスは咄嗟に自分が持っているチョコケーキの包みを後ろ手に隠した。
 セシルが、お供にコニーを連れて、トーマスの傍に駆け寄ってくる。
「こんにちは、トーマス様!今日もいい天気ですね!」
「あ…、そうだね、セシル。それにコニーも」
 困惑を慌てて微笑の下に押し込めたトーマスの表情に気付くことなく、セシルは上気した顔をトーマスに寄せた。
 無意識に顔を引いたトーマスに、さらにセシルは迫ってゆく。
 鎧の中に押し込められているが、一旦それを脱げば、セシルは可愛らしい顔立ちの少女だ。そんな彼女がどんどん顔を寄せてくるので、トーマスは自分の頬が赤くなってくるのを自覚した。
「セ、セシル…ちょっと離れて欲しいんだけど」
「え?あ、はい」
 まるきり無自覚なセシルがちょっだけ顔を遠ざけてくれたので、トーマスは詰めていた息をやっと吐くことが出来た。
「どうしたんだい?そんなに嬉しそうな顔をして」
 気を取り直してセシルを見直すと、それは嬉しそうな顔をして、セシルはにこにことトーマスを見つめている。
 後ろで組んだ両手の中には、力作の贈り物が収まっている。セシルは、今からそれをトーマスにプレゼントできるのが楽しみで、嬉しくて仕方なかったのである。
「トーマス様、目を閉じて、手を出してみてください」
「え?」
「ほら!いいから、早く早く!」
 そう言われても、後ろ手には、メイミに貰ったチョコレートケーキがぶら下がっている。
 仕方がないので、トーマスは言われたとおりに目をつぶって、空いたほうの片手を差し出した。
「これでいいかい?」
 トーマスは目を瞑ったままセシルに訊ねた。
 差し出した掌の上に、ぽん、と何かが乗せられた感触がした。
「目、開けてもいいですよ」
 まさか、と思いながら、トーマスは目を開けて、自分の掌に乗せられたものを見た。
 小さな赤い包みに、赤い光沢のあるリボン。そして、仄かに甘い香りが漂ってくる。
「セシル……、これって……」
「あれ?トーマス様、もしかして知ってるんですか?」
 セシルはトーマスが想像通りに驚いてくれないので、少しがっかりした。
「あ、うん……シーザーさんに教えてもらったんだ。これって、バレンタインデー、だろう?」
「そうです。前にお弁当で失敗しちゃったから、今度はたくさん練習して作ってみたんです」
 そこまで言った後、セシルは不安げな顔になった。
「でも……、あんまり、甘くできなかったかも……」
 セシルの言葉に、トーマスはひっかかりを覚えて首を傾げた。
 普通、チョコレートのお菓子なら、甘いはずである。いくら辛党のセシルでも、スパイスを入れては作るまい。
 あまり甘くない、とは、一体何を作ったのだろう?
 一抹の不安を感じてトーマスは掌の包みを見つめたが、はじめに言うべき事に気付いて、慌ててセシルの顔を見直した。
「セシル、僕のためにわざわざ作ってくれてありがとう。嬉しいよ」
 その言葉を聞き、セシルは素直に嬉しそうに、こっくりと頷いた。
「開けてみてください、トーマス様」
 うん、と頷きかけて、トーマスははたと気付いた。
 赤いリボンを解く為には、もう一方の手も必要とする。が、その手にはメイミから貰った義理チョコがある。
 その意思もなく貰い受けたチョコケーキだが、セシルに気付かせるのはさすがに悪い気がして、トーマスはどうするべきか迷って、固まってしまった。
「どうしたんですか?ほら、早く開けてみてください」
「ああ、うん……」
 どうしよう。そう思い悩んでいたトーマスの足元に、すい、とコニーが近づいてきた。
 しきりに、後ろに隠したチョコケーキの匂いを嗅ぎだす。外に漏れ出る甘い香りに、犬の鋭い嗅覚で勘付いてしまったのだった。
 そのコニーの行動に気付いたセシルは、眉をしかめてトーマスを見た。
「……トーマス様。後ろに、何を持ってるんですか?」
「あ、え、いや……」
 思わずしどろもどろになったトーマスの手から、いきなりコニーがぱくりとメイミのチョコケーキを咥えとってしまった。
 そのまま、コニーはセシルの傍に走っていく。
 セシルはコニーの頭を撫でて、その包みを受け取ると、おもむろに包みをほどいて中を覗いた。
「…………」
 さっきまでの満面の笑顔がすっと消えて、悲しそうになってしまった瞳が、トーマスをじっと見つめた。
「……もう、他の子から、貰ってたんですか?」
 セシルの眼を見て、トーマスはなんと説明すれば良いのか、途方に暮れた。
「……うん、それはメイミさんから貰ったよ」
「……」
 セシルは自分の手にあるチョコレートケーキをじっと見下ろした。
 自分が作ったものより、遥かに美味しそうだった。
「私が作ったのより、美味しそう……」
 ぽつりと呟いたセシルの台詞に、トーマスははっきりと首を振った。
「そんなことないよ、セシル。……これ、開けてもいいかな」
 セシルが小さく頷いたのを見て、トーマスはセシルからのプレゼントを解いた。
 ……正直に言って、どんな物がでてくるかと心の片隅で覚悟していたのだが、赤い包み紙の中から現れたのは、小振りのパウンド型で色よく焼かれたケーキだった。
「いただきます」
 トーマスはその端を少し欠いて、口に運んだ。
 確かに、菓子としての甘さは控えめだった。その代わりに漂ってきた香りは、すがすがしく、すっきりしたものだった。
 昼食にこってりとした料理を食べたトーマスの口に、それはすんなりと馴染んだ。
「ジンジャーのケーキだね。美味しいよ、セシル」
 決して世辞で言ったのではなく、トーマスは素直に思ったことをセシルに伝えただけだった。
 だが、セシルはますますしょんぼりとしてしまった。
「ごめんなさい」
「どうしてあやまるんだい?」
「本当は、私もチョコレートのお菓子が作りたかったんです。でも、どれぐらい甘くすればいいのか解らなくて何回も失敗しちゃって……」
 辛党のセシルは、甘さの基準が解らず、ついに匙を投げたメイミは、セシルにジンジャーを使ったケーキを教えたのだった。
 トーマスはふわりと軽く笑んだ。
「別に、チョコレートにこだわる事ないよ。僕は、これがとても美味しいと思ったよ。嬉しかった、ありがとう、セシル。一生懸命作ってくれたんだね」
 セシルはこくんと頷いた。
 トーマスはセシルが持っているチョコレートケーキを見て苦笑した。
「そのケーキも美味しいんだろうな、と思うけど……。僕は、セシルの作ってくれたこっちのケーキの方が嬉しいよ」
 形式や腕前ではなく、トーマスにとって、「贈り物」といえるのは、やはりセシルのくれたジンジャーケーキだった。
 トーマスの告げた言葉に、いつもの元気が戻りつつあったセシルは、意を決して顔を上げた。
「あの……、トーマス様、一つ聞いてもいいですか?」
「うん?」
 何気なく訊き返すと、セシルは怖いほど真剣な顔をしてトーマスを見据えている。
「これをトーマス様にあげたっていうことは……メイミさんは、トーマス様のことが好きなんですか!?」
「ええ!?」
 思わずトーマスはセシルを見返してしまった。二人はしばらく顔を見合わせあっていたが、先にトーマスが盛大に噴きだして、笑い出してしまった。
「真面目に答えて下さい、トーマス様!」
「ご……、ごめん、セシル」
 トーマスはやっと笑いを抑えて、セシルからメイミのチョコケーキを受け取った。
「これは、そういうんじゃないみたいだけど……」
「じゃあ、どういうのなんですか?」
「うーん……」
 一心にトーマスを見上げるセシルを、トーマスは可愛い妹を見るような気持ちになり、目を細めて見つめた。
「じゃあ、セシル。3時になったら、僕の部屋においで。お茶をいっしょに飲むついでに教えてあげるから」
 その時のお茶菓子は、セシルに貰ったジンジャーケーキと、トーマスはもう決めていた。
 お茶と一緒に、セシルが作ってくれたケーキを食べることを楽しみにしていれば、午後の仕事もはかどるだろう。
「それなら、いいだろ?」
 セシルはちょっと考えてから、この楽しい誘いを受ける事にした。
「分かりました。ちゃんと教えてくださいね、約束ですよ!」
「分かったよ。ほら、約束」
 トーマスは小指を指し出した。セシルは甲冑にくるまれた自分の小指を差し出し、トーマスのそれに絡めて上下に振った。
「じゃあ、3時になったら行きますから!お仕事頑張ってください!」
 すっかり元気を取り戻したセシルに見送られて、トーマスは自分の部屋へと向かいながら、さて、何と説明すれば、セシルは「義理チョコ」を理解してくれるだろうと考え、胸のうちの温かさとは別に、思わず溜め息をついてしまったのだった。


                    ・・・THE END・・・





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